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オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公) : ミニ英和和英辞書
オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公) : ウィキペディア日本語版
オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)[こう]

第3代グラフトン公爵オーガスタス・ヘンリー・フィッツロイ(, 、1735年9月28日 - 1811年3月14日)は、イギリス政治家貴族
ホイッグ党に所属し、1768年から1770年にかけて首相を務めた。
== 経歴 ==

=== 首相就任まで ===
1735年9月28日に(第2代グラフトン公爵の息子)とその妻エリザベス(旧姓コスビー)の長男として生まれる。グラフトン公爵家は、チャールズ2世と愛妾クリーヴランド公爵夫人の次男ヘンリー・フィッツロイに始まる家柄で、彼はその4世代目の子孫であった。
ウェストミンスター・スクールを卒業後、ケンブリッジ大学へ進学〔。
1756年にはから選出されてホイッグ党所属の庶民院議員となったが〔、翌1757年5月6日に祖父が死去したため(父は先立って死去)、グラフトン公爵をはじめとする爵位を継承し、貴族院へ移籍した。
1765年7月に成立したロッキンガム侯爵内閣ではを務めた〔今井(1990) p.323〕。
1766年7月に成立したチャタム伯爵内閣では第一大蔵卿となった〔。この時に首相になったとも考えられるが、組閣の大命を受けていたのはチャタム伯爵であり、また実質的に内閣を主導したのもチャタム伯爵であったため、この内閣は一般にはチャタム伯爵内閣と考えられている〔小松(1983) p.178〕。
しかし1767年からチャタム伯爵が病気になったため、グラフトン公に内閣指導権を委ねるようになった〔小松(1983) p.178〕。対植民地強硬派閣僚が増えていく中、対植民地政策で穏健なチャタム伯爵は内閣で孤立し、1768年10月に辞職に追い込まれた。グラフトン公も政策面ではチャタム伯爵に近い立場だったが、彼は政権に残留し、代わって組閣の大命を受けた〔今井(1990) p.335〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)」の詳細全文を読む




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